お葬式とは

家族と寺院と、葬儀社とが協力し合いながら、故人を偲び、弔い、生命の尊厳を見つめ直し、家族の絆を養うための機会

お葬式とは、家族と寺院と、葬儀社とが協力し合いながら、故人を偲び、弔い、生命の尊厳を見つめ直し、家族の絆を養うための機会といえます。また、それがわれわれ先祖から受け継がれた日本の精神的な伝統文化なのです。
死者を出した家族と、仏教寺院と、その家の近所の方々によって準備から始まり、埋葬にいたるまで、皆が役割分担をしながら故人を送ることが、日本らしい、本来の「お葬式」だったのではないでしょうか。

  • 男性陣で葬具の作成
    井之口章次『日本の葬式』筑摩叢書

  • 女性陣で食事の支度
    井之口章次『日本の葬式』筑摩叢書

  • 穴掘り
    池田秀夫等『関東の葬送・墓制』明玄書房

奈良時代、平安時代前期においては仏教が中国または朝鮮から伝わり、やがて国家に受け入れられ、天皇や豪族、貴族が仏教寺院、教団とかかわるようになり、仏教によって死者の冥福を祈って追善供養が行われるようになりました。それに付随して、仏教僧侶による葬送儀礼が始まっていきました。そして、葬式が仏教の僧侶に期待されることにつながっていきました。

平安時代中期において、浄土宗系僧侶の源信によって『往生要集』が著され、死後、西方極楽世界(極楽浄土)に生まれ変わることができるという、すなわち「往生する」という、「阿弥陀信仰」が強まっていくこととなります。また、「弥勒信仰」や「観音信仰」が広まっていきます。庶民にとっては現世での生活は苦しく、安住の地として浄土に生まれ変わることが期待されました。仏教の専門家として、僧侶たちが浄土の思想を説き、死後について語ってくれることにより、庶民は勇気づけられていたのかもしれません。

  • 阿弥陀如来がお迎えに来ます
    「阿弥陀聖衆来迎図」(東京国立博物館)
    文化庁HP 「文化遺産オンライン」

  • 弥勒菩薩(広隆寺蔵)

中世になって、鎌倉時代に登場した新しい仏教がそれぞれ一宗派として成立していくなかで、各宗独自の葬送方法が確立されていくこととなりました。このなかで特筆すべきは、禅宗における、中国禅宗の葬送儀礼の伝来です。もともと、僧侶、特に住職資格をもたない修行僧に対する葬法でしたが、これを改編し、民衆の葬送方法に適用させました。僧侶でない人々を、死後、仏門に入らせ僧侶にさせるといった、「没後作僧(もつごさそう)」を基調とした儀礼であり、普及することとなりました。この「没後作僧」の考え方は禅宗に留まらず、他宗派においても受け入れられ、現在に至っても継承されています。仏式葬儀においては、死者は一修行僧となるため、白装束を着せられ、お数珠を持たせられることとなります。また、お釈迦さまの出家における断髪が元となり、通夜式において「剃髪の儀式」が行われます。髪の毛は煩悩の象徴と仏教では考え、修行の妨げになると捉えられたのです。現在は実際に剃ることはほとんどなく、剃刀を頭部に当てる作法となります。

  • お釈迦さま、出家時の断髪
    (弊寺職員 撮影 於タイ国寺院 本堂内壁画)

その後、室町時代を通して各宗派が寺院を建立していき、教団の基礎を固めていくなかで葬送儀礼がより広範囲に普及していきます。この時期、各宗派が各家との結びつき、いわゆる「寺檀関係」を構築していくなかで、それの重要な契機となったのが葬祭業、まさに「お葬式」でした。ここで注意すべきこととは、仏教は日本においては、ある程度早い段階から「葬式仏教」であったということです。もちろん、仏教伝来時は庶民のためではなく、天皇をはじめとした貴族のための宗教であり、また一方で仏教自体を研究する学問の仏教でした。庶民には程遠い存在でしたが、やがて葬儀を通して、仏教と庶民とが近づき、庶民のための仏教へと変化していきました。

江戸時代においては江戸幕府という、強力な統一政権の成立により、従来の仏教教団は封建制度のヒエラルキーに組み込まれることとなり、形骸化しまた宗教的生命力はかなり減退したといわれています。寺院は寺領と呼ばれる、広大な土地の所有が許されていました。また、幕府によるキリシタン弾圧、キリスト教の排除のため、各家がキリスト教ではないことの証明として、いずれかの寺院の檀家であることがその証左となりました。同時に戸籍管理の役割も兼ねることとなりました。寺院は役場のような、公的な場としての性格を帯びていました。自動的に、葬家にとって所属先の寺院が葬式を担うこととなります。

明治期になり、顕著となったのが、政府による神仏分離と廃仏毀釈でした。この二つは混同されることが多いのですが、神仏分離自体は、天皇の政治的地位を高めるため、天皇と神道を結びつけ、天皇に権威付けを行う必要により行われました。具体的に、日本においては多く、神仏習合と表されるように、寺に神社が所属していたり、また寺が神社の一部として含まれていたりしていたため、幕府御用達であったところの仏教を除外するため、神社から仏教の要素を切り離していきました。独立した寺院は対象ではありませんでした。神社と寺院の区別を明確にすることが当初の目的であったようですが、藩によっては中央政府の方針を極端に解釈し、政府が仏教の廃止を宣言したかのような噂が広まってしまい、全国的に廃仏への気運が高まり、ついには「廃仏毀釈」という結果を招きました。葬式において藩によっては、神式を徹底させたところもありました。もちろん仏教寺院は衰退していき、多くの廃寺が生まれました。生活拠点としての寺を失って、僧侶を辞めざるを得なくなった僧侶が少なくなかったことは言うまでもありません。残された寺院は生き残りをかけ、活路を模索していくこととなります。太平洋戦争に至るまで、いくつかの戦争が起こり始めますが、仏教教団側は政府の方針に積極的に加担していきました。もちろん、教団にとっては自教団の存続のためには、中央の権威にひいきにしてもらう必要があったのでしょう。戦勝祈願をはじめ、従軍布教、出征者のいる家庭や戦死者を出した家族の援護、傷病兵の救護など、国家に協力していきました。終戦を迎え、新憲法の公布によって、完全に信教の自由が保障されました。明治憲法においても信教の自由が謳われていましたが、制限付きでした。これによって家の宗教宗派の縛りから解放され、仏教以外に信仰先を求めた者も多かったのではないでしょうか。また、戦後のGHQ主導による「農地解放」によって、明治期の廃仏政策にはじまった寺領接収の動きが再燃し、境内地をことごとく取り上げられることとなりました。その結果、土地収入が大幅に減少したことは言うまでもありません。多くの寺院にとって法事を含めた、葬祭業の布施が唯一の収入源となっていきました。

以上のような趨勢により、僧侶の世俗化は避けられなくなるどころか、むしろ世俗化が当たり前となり、多くの寺院では、僧侶が公務員や会社員など、寺院の外に働き始めることがごく普通になっていきました。食べていくためには仕方がありませんでした。寺の外に働きに出ることで、バランスによっては外の比重が高くなる一方で、本業であったところの寺の業務、すなわち仏事が縮小していくことは避けられなくなりました。葬儀においては、葬儀に精通した僧侶が減少していく半面、葬儀社が台頭していきます。もともと老舗の葬儀社の多くは、前身が葬具のメーカー、また葬家にそれらを貸すことを生業とする、レンタル業でした。以前、葬儀自体は「隣組(となりぐみ)」と呼ばれる、近所同士の助け合いによって行われていました。死者が出ると、訃報の伝達、会場の設営や食事の用意、納棺に連なる遺体の処置等をはじめとした葬儀全体の準備片付け、また読経を除く(読経は寺の役割)、一連の儀式の施行がもっぱら葬家ぐるみ、及び近所の家の手伝いによって行われていました。のちに多くの一般家庭においては、若手をはじめとした働き手が、家の外で働き始めることにより普段、昼間は不在となり隣家の葬式であっても職場を休むことは困難であったと考えられます。それによって、より葬儀社の働き、活躍が期待されることとなりました。このように、葬儀社が葬儀全般を取り仕切っていくこととなりました。また葬儀社のみならず、他業種の民間企業も葬儀をはじめとした仏事に積極的にかかわるようになっていきます。

  • 村ぐるみで出棺
    (五来重『葬と供養』東方出版)

  • 家族で見送る
    伊丹十三「お葬式」(映画)
    (「eigamaster のblog 」)

現代、僧侶に求められた役割は読経だけとなってしまったようにみえます。一部の寺院は寺院維持のためであるとはいえ、信者に対し非常に高額な布施を要求するなどの事例があったそうです。またそれに便乗して、葬式を高額化した業者もいたそうです。一般の方にとっては葬祭業に従事していない限り、葬式にかかわることは一生に数度しかなく、そのために葬儀にかかる費用の相場を知る機会がないことにつけこまれたのではないでしょうか。
葬家においては、決して僧侶の下でということではなく、僧侶とともに故人をしっかりと送っていくことが大切と考えられます。葬儀社は、あくまでも家族による葬儀執行の代行であるとの認識によっているはずです。「葬儀のお手伝い」であるため、葬式の中心はもちろん故人をはじめとする家族であるということを誰しもが忘れてはなりません。現在、「参加型湯灌・納棺」が増加傾向にあるそうです。これは家族が、湯灌や納棺の場において、納棺師などのスタッフのアドバイスをもとに、できることには参加していき、生前に世話をしてくれた故人に対して何かしらの方法で恩返しをしたいとの気持ちがあるからではないでしょうか。葬儀社は専門の知識と、幅広い経験によって、各家の意向に沿った葬儀形式を提案してくれ、また、寺院は真剣な読経を通して、仏法を死者に説き、また残された家族にも伝えてくれるのです。家族と、寺院と、葬儀社と、皆が一丸となって、故人・家族中心の、本来のお葬式が取り戻されていくことを願っています。

祥應寺住職 合掌